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小説

やがて訪れる春のために はらだみずき

大野八生さんの表紙絵に惹かれ、本屋でたまたま手に取った本。

はらだみずきさんの『やがて訪れる春のために』

 

タイトルも素敵です。

「自分で蒔いた種」という言葉は良くない場面で使われがちですが、いつか巡ってくる、その時のために準備をしておくという意味においては、とても素敵なことだなと思いました。

どんなおはなし

会社を辞め、都会での生活に行き詰まっていた真芽は、入院した一人暮らしの祖母・ハルに頼まれ、生家の庭の様子を見に行く。だが、花々が咲き誇っていた思い出の庭は、見る影もなく荒れ果てていた。ハルの言動を不審に思う真芽だったが、彼女の帰宅を信じ、庭の手入れをはじめる。しかし、次第にハルの認知症が心配され、家を売却し施設に入れる方向で話が進もうとする…。きびしい現実の先をやさしく照らす、心に沁みる感動作。(「BOOK」データベースより)

読んだ感想

今から1年ほど前、私は賃貸マンションから戸建ての家に引っ越し、小さいながら念願の庭をつくりました。好きな木や花を本やネットで調べては、園芸店へ足を運び、少しずつ自分の手で庭をつくっていきました。多くは宿根草や多年草で、毎年春に新芽をつけ、それぞれの開花期が季節を感じさせてくれます。土をいじるとき、水をやるとき、花がらをつむとき。植物と向き合う時間は不思議と心が満ち足りたりた気分になります。

ハルばあもきっとこの時間が大好きだったのでしょう。生活に楽しみがあるというのはとても大切なことです。

なのに、老いはこの至福の時すら奪い、生きる気力をますます吸い取ってしまいます。

なんとかハルばあを元気づけようとするのは孫の真芽。荒れ果てた庭の惨状がそのまま祖母の老いを表しているように思えたのでしょう。若い頃は時の流れに鈍感で、幼い頃見ていたものは今も変わらずあるものだと思ってしまいますよね。

思い出の庭をあの頃のようにと植物と触れ合ううち、真芽はこの庭でハルばあと過ごした日々にこそ自分の夢の原点があるのではと思いはじめ、そして、庭に散りばめられたハルばあからのメッセージに気づきます。

見返りを求めていたわけではないけれど、いつか自分が蒔いた種が、知らず知らずのうちに今の自分を支えてくれている。そういうことは私自身にも思い当たりますが、それは他人に理解されたり、応援されることとはまた違った心強さがあるように思います。

さて、本書文庫本の解説は”一万円選書”でお馴染みの「いわた書店」の岩田徹さんでした。岩田さんも、遠く離れた家族に思いを寄せる人にこの本を推薦しているようです。

誰かを思う気持ちが自分を動かす原動力になる。

確かにそんなメッセージも感じさせてくれる素敵な本でした。

コメント

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