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小説

キッチン・セラピー 宇野碧

宇野碧さんの『キッチン・セラピー』を読みました。

表紙の絵がとても素敵です。

心が疲れた夜はひとりキッチンに立ち、黙々と料理をする。それもありかもしれません。

どんなおはなし?

人生に行き詰った人たちが噂を聞きつけて訪れるのは、森の中にある町田診療所。診療所と名乗りながら、詳しく病状を聞くわけでも、薬を処方するわけでもありません。ただ一緒にキッチンに立ち、とことん料理と向き合うという治療法。それがキッチン・セラピーです。

ここに訪れる人たちはみな、「こんな自分はもう嫌!」と今にも潰れてしまいそうな人ばかり。しかし、そのひとつひとつの悩みは、誰しもが少しずつ自分に思い当たるようなものばかりなのではないでしょうか。主人公たちが、どのように自分を取り戻し、再出発していくのか。そのプロセスに勇気と元気をもらえるお話です。

読んだ感想

なんだか上手くいかないなぁというとき、自分が持っていないものが、生きていくうえでとても大きな武器であるかのように感じてしまうときがあります。

あの子みたいにうまく立ち振る舞えたなら。

あっちの選択をしていたなら。

自分の不器用さと不甲斐なさはどんどん膨らみ、負のループに陥ります。

物語のなかで最も私と近い境遇なのは、仕事と家事、そして育児に追われた女性、真琴かなと思います。子どもに振り回されては、助け合うべき夫ともぶつかり合う毎日。遠回りに嫌味を言って、こんなことが言いたいんじゃないんだよと自己嫌悪する姿に「わかる、わかる」と同感。余裕のないときに限って、「これをやってほしい」と言葉にする前に、やってくれないことにフォーカスしてしまいますよね。

そんな彼女が町田診療所を訪れ、自分を取り戻すために追求するのはパフェ。他の誰のためでもなく、自分だけの希望を、自分の理想を追い求める喜び。そういう気持ちって母親いう役割を担うことで、いつの間にか忘れてしまっているもんだなと気づきました。

さて、この物語の人々含め、人の悩みの多くは人間関係と言いますが、突き詰めていくと、それは言葉というコミュニケーションツールの問題に行きつくと思います。言葉足らずや余計なひとこと、ストレートすぎる物言いや遠回しな表現。言葉の加減を間違うだけで、途端にぶつかり合ったり、すれ違ったりしてしまいます。昨今の他人をジャッジし合う世の中においては、さらに厄介な問題になっているのではないでしょうか。揚げ足をとったり、場面の切り取りで相手を貶めるやり方には、もううんざりですね。。

人生に迷ったとき、私たちは答えが欲しいわけではないということが物語を通してよくわかりました。町田診療所のように自問自答する時間を半強制的に与えてくれ、かつその時間に徹底的に付き合ってくれるような存在が必要なのかもしれません。

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