角田光代さんの『森に眠る魚』を読みました。
疲れた。なんかすごく疲れた。。というのがこの本の感想。
読み進めるうちに息が詰まり、苦しくなるような物語。
角田さんの小説は人間の黒い部分の描写がとてもリアルで読後に引きずってしまうものが多いですね。
自分が子どもを持つ立場でなければ、もう少し客観的に捉え、笑い飛ばすこともできたのでしょうか。母親である私にはとても重くのしかかるような内容でした。
狭い世界に閉じ込められた人間の心理状態を描く
東京のある文教地区でいわゆる”ママ友”として繋がりを持った5人の女たち。互いに好印象を持ち、しばしば子どもを交えて集まる仲になります。しかし、いつしか小学校受験を意識していくなかで不穏な空気が流れ始めます。小学校受験なんて必要?どこの小学校が将来有望?なら幼児教室はどこに通うべき?そんな情報が彼らを包む頃、会話は上辺だけのものになり、常に互いを探りあい、相手のささいな言動にも敏感に反応するようになります。そして、最初は新鮮味さえ感じていた互いの価値観や生活水準の違いが相手への嫉妬や嫌悪に拍車をかけていくのです。一度は同じ母親という立場の幸福感や苦労を分かり合えた彼女たちが、同じ立場だからこそ、破滅に向かってしまったという悲しく、恐ろしい物語です。
母親なら誰でも我が子のために最善を尽くしてあげたいと思うもの。しかし、そこに自分のプライドやコンプレックスが絡んでくると一気に厄介になります。「子どものため」といいながら、いつの間にか親である自分の気持ちが優先され、余計な感情が自分をどんどん狭い世界に閉じ込めてしまいます。そうなると、周りの人間の行動を意識せざるを得ず、焦りや不安が募り、自分の軸は揺らいでいきます。
この物語のなかでも、鍵となっているのは母親たちのそれぞれの過去でした。全員がどこか満たされない思いを引きずりながら専業主婦をしています。そして、その満たされない思いを”母親としての成功”という形にぶつけてしまうのです。小学校受験は彼女たちにとって分かりやすい課題だったわけです。
読み終わったあとに、この小説が実際の事件を題材にしていることを知り、衝撃を受けました。実際にこんなこと(客観的に見ればそう思えることですが)で罪を犯すまでに苦しんだ人がいるのか、こんな大人のつまらない事情で犠牲になった無垢な命があるのかと思うとやりきれない思いになります。
どこまでが”子どものため”で、どこからが”親のエゴ”なのか。やはり親も人間である限り判断は難しいです。それでも、広い視野で冷静に優しい心を持って、目の前の世界を見つめていこうと心から思いました。
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