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エッセイ

日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下典子

映画化された頃に一度読んだ本を少し時間が経ったいま再読。何度読んでも教えられることがたくさんあり、心が洗われます。生き方のヒントを与えてくれる1冊です。

お茶のお稽古から見えてきた人生観を綴るエッセイ

お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。 失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。 がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。 「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる…… 季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。(本書裏表紙より抜粋)

長い目で、今を生きるということ

世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になってじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。(P、5)

この部分がやはり、本書の真髄でしょう。現代は探せばすぐに答えは見つかるゆえ、効率を求めがち。けれど、経験、環境、タイミング・・・長い時間をかけていろんなものが混ざり合い、やっと自分のなかで胸にストンと落ちるものもあります。だから、近道して「わかったこと」と回り道して「わかったこと」は全然違う。他人の言葉で解説されたとしても、自分の理解とは微妙にニュアンスが違うような、そんな”すぐにはわからない”ものこそが自分をつくっていくと感じました。

会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。

幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。(P196)

今じゃなくてもいい、で後回しにしていることが結構あります。たいして忙しくもないのに、できない言い訳ばかりを並べて。でも「今このとき」は「今」しかない。一期一会とはそういうもの。

五感を使うということ

今という季節を、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚ぜんぶで味わい、そして想像力で体験した(P124)

遠い昔に嗅いだ、風や水、雨の匂いが、その時の感情と一つになって、ふっと立ち現われ、煙のように消えていく。

過去のたくさんの自分が、今の自分の中で一緒に生きている気がした。(P134)

感覚を研ぎ澄ませ、無になる瞬間。頭では覚えていなかったはずの記憶が音や匂いに連れらてやってくる。人間の五感の力を慌ただしい生活のなかで雑に扱ってしまってるのかもしれない。もったいないと感じました。

雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある(P216)

過ぎ去ったことへの後悔やこれから先の不安、生きている限り逃れようのないものだけど、どう足掻いてもしょうがない時もあります。そんな時はただこの一瞬に没頭する。そのとき心は解き放たれるという。

心の気づきを待つということ

気づくこと。一生涯、自分の成長に気づき続けること。

「学び」とは、そうやって、自分を育てることなのだ。(P230)

時間の制約や他人との争いがないお茶の世界で、ただひたすら自分と向き合ってきた著者。きのうまでの自分が気づかなかったことを今日の自分が気づく。その気づきに成長を感じ、あらためて学ぶ喜びを知る。いくつになっても、学ぶ喜びを忘れないでいようと思いました。

おわりに

「日日是好日」とは「天気の日も雨の日も、すべていい日」という意味。これを人生に当てはめるなら、幸せな日も苦しい日も、すべて大切な日」ということ。日々移ろうときのなかで今と向き合うことが大事なのです。著者はお茶の世界が自分を見つめる貴重な時間でしたが、私の場合は登山がその時間です。同じ山でも今日と同じ景色は二度と見られない。あらゆる情報からシャットアウトされた時間のなかで、存分にその景色を味わいます。自分の五感がいつもより張り切っているような感覚に陥る。きっとまだこの登山にも”すぐにはわからないもの”がたくさん隠れています。年齢を重ねていくに連れて自分が何に気づくのか、とても楽しみになりました。日ごろ焦燥感に駆られている方にこの本を読んで、自分なりの”お茶の世界”を見つけてほしいです。

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