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小説

存在のすべてを 塩田武士

塩田武士さんの『存在のすべてを』を読みました。

不穏な事件の始まりに、久しぶりの緊張感!と手に汗を握ったものの、事件の裏にあるヒューマンドラマに思いがけず心打たれる作品でした。

どんなおはなし?

平成3年に発生した誘拐事件から30年。当時警察担当だった新聞記者の門田は、旧知の刑事の死をきっかけに被害男児の「今」を知る。再取材を重ねた結果、ある写実画家の存在が浮かび上がる。質感なき時代に「実」を見つめる者たち──圧巻の結末に心打たれる、『罪の声』に並び立つ新たなる代表作。(本書公式紹介文より)

読んだ感想

この小説のテーマは「存在」です。

普段あまり意識はしない言葉ではありますが、じっくりと考えてみると、私たちはあらゆる存在が複雑に絡み合う世界で生きていることがわかります。

いまこうしてパソコンを使って文章を綴っているわけですが、このパソコンが生み出された過程にも、製造した人、デザインした人、こういう機能があったら便利だよねと発案した人などなど、、実に多くの人の存在があるわけです。『君たちはどう生きるか』のコペル君が考えついた「人間分子の関係、網目の法則」のようですね。

毎日その「存在」ひとつひとつに目を向けることは困難なものの、こういう考えを軽率に扱い生きていくのは、とても浅はかなことなのだと感じさせられました。

 

誘拐された子どもが3年後に無事に戻ってきた、という奇妙な事件。一体この3年何があったのか。この謎は解き明かされことなく30年が過ぎます。

既に時効を過ぎたこの事件を自らの足で地道に辿る新聞記者・門田。散らばったピースを集めて見えてきたのは、画家と少年の深く尊い絆でした。”空白の3年”には、「誘拐犯」と「被害者」という単純な言葉だけでは片付けられない事情が潜んでおり、そして、そんな彼らを守り、支えたいくつもの存在がありました。

画家は写実画を描くことで、少年に『質感なき時代に実を見つめる』大切さを教えました。軽く触れただけで大体を分かった気になり、うすく消費される社会。しかし、実を見ようとする心がなければ、本当のところは何も分からないのだと、物語を通して現代の風潮に警鐘を鳴らします。その教えは、少年の生き方そのものとなり、画家とその妻と共に過ごした3年は彼の人格形成になくてはならない時間になりました。

また、この事件の真実を追求しようとする門田の言動にも、「実を見る」という考えに通ずるものがあり、彼がこの”空白の3年”を書きたいと決意する際の言葉からは、メディアの存在意義を改めて考えさせられました。

「真っ当は報道は社会の共有財産になり得ると考えています」
SNSが定着してからは愚にもつかない個人情報をあけすけにする人が増えた一方で、社会で共有すべき事実に大して関心を示さない人々が可視化されるようになった。被害者と聞くだけで「そっとしておいてやれ」と思考停止の言葉をフリック入力し、一週間もすればきれいさっぱり忘れているのである。

確かに私も被害者の傷をえぐるような報道に対して、深く考えずただ嫌悪感を抱くことはあります。しかし、その情報にも「伝える者」の存在があり、私たちはその恩恵を受けている身であることを忘れていないだろうか、と千思万考。誰かの失敗や予期せぬ事故は、これからを生きる人たちへのヒントであり、データとなります。自分がその犠牲を被る場合は、そんな風に冷静に考えることはできないかもしれませんが、いまの自分の健康や安全があるゆる存在の犠牲のうえで成り立っていることは間違いないのです。

日々流れる大量の情報のなかで、その情報源が無責任なものであるか、使命に基づくものであるか。受け取る側にも倫理観を持ち合わせる必要がありそうです。

写実画家と新聞記者。一見関連のない職の2人が、「実を見る」という点において同じ信念を持ち、読者に対して異なる角度から、すべての存在には意義と理由があること、そして、それ自体で存在するものなどなく、物事は背景や繋がりから象られものなのだということを教えてくれる物語でした。

果たして門田はこの“空白の3年”をどのように世に出したのでしょうか。

たとえばそれがこんな小説であったならば、私たちは事件の概要だけを知るのではなく、ここに登場するすべての存在に人間味を感じ、何かを思わずにはいられないでしょう。

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