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ビジネス書

僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう 

新聞でちらっと紹介されているのを目にし、すぐに購入しました。各界の第一人者の”名もなき頃”を知れる貴重な1冊です。もっと一人ひとり掘り下げてほしいと思うほど、とても豪華な顔ぶれです。

本書は京都産業大学で行われた講演と対談を記録したものです。細胞生物学者&歌人である京産大教授の永田和宏氏が4人の著名人(山中伸弥氏、羽生善治氏、是枝裕和氏、山極壽一氏)を招き、それぞれの青春時代に迫ります。

誰かに憧れることが自分の可能性を広げる一歩

この企画の意図として、あんな偉い人でも、なんだ自分と同じじゃないかということを感じとってほしいという永田氏の考えがありました。それは若い世代は誰かに憧れるという感覚が薄くなっているからというのです。「あの人は天才だから」、「違う世界の人だから」と最初から線を引き、偉人たちを憧れの対象として見ない傾向があるとのこと。憧れるのではなく、崇めてしまうのですね。

 本書は成功話や派手な失敗話ばかりがエピソードとして取り上げられている偉人たちにも、自分たちと同じように漠然とした不安や焦りに駆られた日々があったことを教えてくれます。信念を貫こうと必死にもがいたり、時には方向転換もしながら自分の道を探してきた彼らの名もなき頃を知り、やはりすごいなという尊敬とともに親近感を感じることができました。

 そして、あの人みたいになりたいと近づく努力をしてみることは自分の可能性を広げる一歩になるという永田さんの強いメッセージを受け取ることができました。

海外に出て”世界を知る”ということの意味

第1章の山中伸弥氏は今でも多忙なか、毎月アメリカの研究室に足を運ぶことを大切にしており、若者にもどんどん海外に出ることを勧めています。その理由は、世界と繋がるツールがどんどん進化している現代においても、やはり現地に行って仕入れる生の情報は量も質も全然ちがうと感じるからだそうです。この話の流れで永田氏が述べる「”世界を知る”ということにも二面性がある」という言葉が印象的でした。一つは純粋に「こんなにすごい人がいるんだ」ということを知るということ。もう一つは「なんだ、自分と同じじゃないか」ということを知るということ。日本に閉じこもっていてはどうしても世界を過大評価してしまうんですね。ここにも今どきの若者の悪い癖を指摘する場面があり、胸が痛くなります。。

情報化社会が先入観とつくる

第2章の羽生善治氏の話も非常におもしろかったです。なかでも印象的だったことは情報化の弊害について語っている部分です。

 将棋の世界もどんどん情報化され、新しいアイディアを生み出していくうえでデータ分析は欠かせない時代になっているよう。そんな時代のなかで感じることが、スタートラインに立つために必要な情報や知識が多くなり、それがクリエイティブな思考を邪魔する場合もあると述べています。確かにこれは将棋の世界の話だけではないような気もします。何かをしようと思いついたとき、それはもう既に世界の誰かがやっていることを嫌でも知らされ、成功例も失敗例も共有されています。だいたい素人の自分が思いついたことの結果が行動に移す前に想像できてしまうということが多々あります。情報が多い分、なんでも効率的にやろうとしすぎてしまい、結局なにも動けずにいるのです。

 羽生氏は様々な可能性を排除することなく、まっさらな状態になってどう見えるかを考えることがクリエイティブな思考にはとても大切だと述べています。ときには情報をシャットアウトし、時間をかけて考えるという我慢強さと心の余裕も大切ですね。

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